伊藤公全集より抜粋

日韓協約にっかんきょうやく我国民わがこくみんの態度

諸君。予は、今回我天皇陛下より、ちん(皇帝・天皇の自称)に代りて親しく朕が誠意をつたえよとの大命を奉じて渡韓とかんしたるものにして、世間の所謂いわゆる慰問いもん大使のごときものにあらず。予は陛下の大命にたいし臣が数十年来陛下につくしたる赤誠せきせい(まごころ)をもっ韓皇かんおうに対し大命をつたうべきむね奏答そうとうの大任を遂行せんめに来れり。

諸君も新聞紙上においすで涼知りょうちせられたるごとく、予は韓皇にえっほとんど四時間にわたる談話を交え、韓国の過去現在未来に付き十二分の説明し、又各大臣にたいしても之がため百万言ひゃくまんげんついやし誠意誠心解決に努めたれば、韓皇を初め各大臣いずれも自省の必要をさと、去る十七日を以て新條約の調印を見るにいたれり。

れ全く我天皇陛下の韓皇に對せらるる御誠意の貫徹したるものにして、我等は只深ただふかく我天皇陛下の御誠意を奉戴ほうたいしたるに外ならざるなり。げんに韓国人未開なりといえども、これを侮辱し之を瞞着まんちゃくするは、決して我天皇陛下の大御心おおみこころにあらずよろしく之を指導してその発達を期せざるべからず。

今や列国環視の際なれば、し之を侮辱するがごとき事あらば、ただちに我国威をしっし我国家の不利益言うべからざるものあらん。故に予は新條約の遂行に浚巡しゅんじゅんせざりしと同時に韓人の境遇に對して眞に胸中萬斛きょうちゅうばんこくの涙なきあたわず。

諸君もよろしく深く陛下の大御心のそんする所奉戴ほうたいし、く韓人を保護し之をして存立そんりつせしめざるべからず

明治三十八年(1905年)・十一月二十八日 韓国京仁けいじん官民歓迎会におい


伊藤博文明治天皇陛下の大御心おおみこころ(天皇の心、考え)韓人の近代化を助けよであると朝鮮に入った日本人に対し発言し、それをしっかり守ることこそが国益にかなうもの、今はまだ文明レベルが低いからと言って侮蔑するな、近代的な法や商慣習に疎いからといって騙す(瞞着まんちゃく)なとしているのがお分かりいただけたと思います。

演説中、伊藤博文はキチンと韓皇と発言し、文字に起こす際もではなく天皇と同じの字をつかっています。これは、日本は韓国を下になど見てませんよというだけでなく、長い間中国の属国とされていた韓国が、日本の後援(日清戦争勝利)で対等な関係になったことを強くアピールするためでもありました。

伊藤博文の言葉は朝鮮からの引き揚げ者の中でも、とりわけ中央官吏(京城の朝鮮総督府の役人)だった方やそのご家族の話の中でよく出てきました。

伊藤公あるいは公から直接言葉をたまわった先輩・上司から言動に気を付けるよう再三再四言われたというものです。
明治・大正・昭和の初期は、職場の上司による婚姻の斡旋は恋愛結婚より多かった時代ですので、自分の立ち居振る舞いで地元の韓人(朝鮮人)と問題を起こすということは諸先輩方、仲人を務めた上司の顔を潰すことでもあり、さらに上記文中にもあるように国(天皇陛下)の名誉を汚す重大事なので気をつけていた・・・それ故に太平洋戦争後の韓国政府の物言い、又それを利用した一部日本人の論には承服しかねるという感じでした。

point武力を背景に強引に韓国を従わせた、朝鮮人を人として扱わず平気で殺してたというような韓国側の主張と今回の資料にある日本側の対韓国の最高責任者の残された言葉がかみ合わないものである事がお分かりいただけたと思います。
大事なことは合わないから合わせないという日韓基本条約の基本の基すら理解していない、安易に韓国の主張を日本に持ってくる日本人が余りにも多いということです。

一部の学者というか新聞社というか政党というか、まあそういう人達は分かっていて仕掛けているのでしょうから、今さら何をいったところで無駄なのだろうと思っていますが・・・
一人でも多くの人に資料の存在を、日本の歴史的事実は韓国のそれとは違うことを知っていただければいいのかなと考えています。