伊藤公全集より抜粋

普通教育に従事する日本人教師に訓諭

本官は主として今回新任せられた諸君に一言する。
韓国の普通教育を普及改良させることになって、昨年から着手して少しく其緒に就きかかって居るが、まだ創始とっても差支ない程である。

諸君は今日迄自国に於て教職に従事して居られたのであるが、外国に来て外国の児童を教育するのは、自国に在て自国の児童を教育するよりは遥かに困難であると信ずる。故に諸君が今からこの韓国の児童を教育するには、自国の児童を教育するよりも一層の熱心と勤勉とを以てやって貰いたい。

教育の実績を挙げるには、父兄の信任を得ることが第一である。諸君は微頭微尾誠実と親切とを以て児童を教養するが善い。決して裏表があってはならぬ。

韓国にも昔から全く教育というものがなかったのではない。
つとに支那の文化を輸入して、仁義れい智忠信孝ていの道は深き根柢を有して居る。取分け禮義の点に至っては、十分重きを置いて居るのである。故に諸君が今日の所謂いわゆる普通教育を新に普及するにも、この旧来の風習を重んじて、これはばかることのないように注意せねばならぬ。

教育の効果は一朝一夕いっちょういっせきで得られるものではない。任に当る者は、宜しく効果を永遠に求めることを心懸けねばならぬ。韓国の如きは、未だ普通教育の何たるを解せぬものが多いから、あたか保姆ほぼが幼稚園の児女を扱うような積りで、根気よく、丁寧にその児童を教導せねばならぬ。

諸方面から視察して見ると、韓国人は決して文明に進むの素因がないのではない。諸君が十分なる熱誠を以て教導したならば、円満なる効果を収めることが出来ると思う。

なお特に注意して貰いたいことがある。それは、教師たるものは、政治宗教の事に就いて彼比かひ評論をしないことである。仮令かれい社会の風潮が如何いかがであろうとも、一意専心教育のみに力をつくせば善いのである。政治宗教の事は、別に其れに当るものがあるのである。教育家たる者は、単に其の本分たる教育のみ熱心にして、他をかえりみる必要はない。

韓国にも欧米諸国の宗教家が沢山来て布教に従事して居る。その目的とする所は勿論もちろん布教にあるけれども、其の方便として児童の教育をやって居る。しかも其熱心なことは非常なるものである。し政府の設置する所謂いわゆる官立や公立学校の教師たるものが、これに劣る様なことがあれば、相済まぬことである。

宗教は其の佛教たると儒教たると耶蘇教たるとに論なく、世人を啓発する点に至ては其途一であるから、彼を是とし此を非とする理由はない。我国では信教の自由は憲法で保障されて居る。韓国では別に是に対して何等の制限はないのである。諸君は此点にも注意して、宗教家などのすることに対してみだり是非善悪の批評をなしてはならぬ

又諸君が児童を教育するに臨んで最必要なのは言語である。如何に親切に誘掖ゆうえきしようとしても、言語の通じないためにその目的を達することの出来ない場合も少なくないと思う。諸君は教授の余暇に韓語を及ぶことを忘れぬようにして貰いたい。是は切に希望する所である。

なお風俗習慣の如きも、幾百千年の間に成立したもので、一朝一夕にして之を改め得るものではないから、決して軽卒に之を非難し、又は急激に改変しようとしてはならぬ。注意に注意を加えて漸次ぜんじに改良する心掛が大切である。是を要するに、韓国の啓発は教育に待つことが多い。

従て諸君の任は、じつに重且大なるものである。し不幸にして教育の効果を収め得ぬようなことがあるならば、日本帝国は韓国を啓発することが出来ないのである。返す返すも諸君が、熱誠と勉勤と周到なる注意を以て、一意専心、教育の實を挙げ円満なる効果を収むるの覚悟を必頭に置いて、教導に従事することを希望してまぬのである。

明治40年(1907) 4月14日

伊藤公全集第二巻より


まだまだ日本本土すら交通の便悪く、東京ー大阪を移動するだけでも大変だった時代に、朝鮮人子弟教育のために志高く海を渡った教職員の方々。
郵便も未成熟の中、友人知人との交流もままならない、親の死に目にも会えない可能性も大、そのような覚悟をもって乗り込んだ方達を前にして初代朝鮮総監伊藤博文がかけた言葉になります。

point江戸時代に生まれ明治憲法を作った政治家の言葉とは思えないですね。
安易に子供たちに自分(大人)の思想を押し付けるなという所は、本当の意味でのリベラル政治家とすら思えます。
裏表がないように、陰で韓国人を馬鹿にするな相手の旧習や文化を尊重しろとの念押し。
またハッキリと宗教の自由が憲法で保障されているとの言葉。これが朝鮮半島に直に入って近代化に力を尽くした日本人の守るべき基本姿勢とされました。
しかしながら、ハルピンにて伊藤博文が安重根アンジュングンに暗殺されたあと次第(昭和)に朝鮮半島の教育は彼の願った姿から離れていきます。
満州国建国(1932)以降は、日本の国益(朝鮮半島に再び韓国を建て満州国三国共同体制を作る)を優先にした一方的な朝鮮人の日本人化(日本にとって都合の良い理想的韓国人)へと姿を変えていきました。

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