盗みをする児童生徒の保導について

京城保導聯盟報告(実例三・四・五)

座長 それでは実例三、四、五を一括して願います。京城けいじょう保導ほどう聯盟れんめい提出、提出者のご説明を願います。

有田(京城) 先ず第三例について付いて申上げますと、大体家庭の環境も良いし、本人の生活上も別に遺憾の点はない。ういった子供が偶々たまたま万引きをやった例が、これでありますが、それは家庭は健全であるが、あまり厳格に過ぎる傾きがあった。

或る時放課後魚釣りに行く約束をし、それに必要な釣り道具を買いに参りました所、偶々店員がいなかった為に、つい出来心を生じて万引きをした。
そして発見されたのであるが、その後の精神状態は非常に前非ぜんぴい、直ちに近くの朝鮮神社に参拝して、将来斯ういうことはやらないということを誓いまして、家庭に帰り謹慎していたのであります。

主事が家庭を訪問した時には、母は市場に買出しに出てって、自分はレコードを掛けて居りましたが私の国防服を着た姿を見て、直感したものと見え、じつは先生昨日の関係で来て戴いて恐れ入りますが、もう反省して居りますから、お父さんやお母さん、学校には知らさないで、もう少し長い目で見て呉れないかいう話であった。

併し主事は教育的の立場から見て一応お母さんに話をして置くことが必要だと考えましたので、お話をした次第であります。
第三例はそれ位であります。


次に第四例でありますが、これはわずかか十五、六の実業女学校の二年生が小遣銭こづかいせんの不十分、監督不行届ふゆきとどきというような関係から最初食べ物を万引きしたのが、もとでありますがここに重要な点は一人でなく、同じ環境にあるものを二三人にさんにん、或いは三四人引き入れて、段々募って来て、遂に二十数回、金額にして約七八百えんの万引きをしたというのであります。

これ全く環境相通ずるものが友達同志となってやったことにいて特徴があると思います。
その点を挙げてありますが、私共の方では百貨店、書籍店、その他警察機関とも密接なる連繋を保ち、座談会をするとかその他の懇談会を催して、保導聯盟の趣旨を常に普及して居りますので先方からことごとくお知らせを戴くことになって居ります。

そのお知らせに依ってはっきりしたのでありますが。学校当局としては保導聯盟の趣旨ならびに社会の好意をたいしまして、極めて寛大な処分をし、家庭との連絡、家庭の教養というようなことについて学校と連盟が協力して致した次第であります。


次に第五例でありますが、これまた家庭は経済的にも精神的にも行届いた家庭であります。
所がこの子供は次男坊に生れ、相当頭も良し、体格にも欠点はなかったのでありますが、長ずるに及び映画ならびに小説の如きごとものを渉猟しょうりょうするようになりまして、段々学業がおろそかになり出した。

ことに四年の時に満州まんしゅうに修学旅行をして、その際に乗り物に乗って何處どこでもいいから案内しろといった先が、紅燈こうとうちまたであって偶々たまたま感じ得べからざる所の衝撃を受けた。それが又大きな病みつきとなり、屡々しばしば重ねて居る内に遂に原級生となったのであります。

そのために友達からも何となく白眼視され、家庭からもまた白眼視されるように誤解して、爾来じらい非常に反抗心が強くなり、自暴自棄じぼうじきとなって益々悪徳を重るようになったのであります。
それで色々手をかくし、警察の方にお願いしてその手に掛かったのでありますが、警察としては少年の犯罪である爲に、その処分はく寛大にされた。しかし学校としては最早そこまで来て居り、又団体の統制もあり、色々外に将来起こって来る所の教育上の問題もありますので、涙を呑んで退校処分に致しました。

そうして家庭は相当役人の体面のある家庭でありますので、家庭から一歩も出さないような誤った監督を致しました爲に、彼は又外に慰安を求め、その爲には小遣銭が要るというような関係から、暑中休暇中に生徒家庭連絡表を利用し、白昼あたかも自分は在校生の如き言動をろうして生徒の家を訪問し、算盤そろばん、辞典等各種の学用品を騙取へんしゅしたようなことがありましたので、その救済が必要であるというようなことから、某商会に事情を明かして就職させたのであります。
今も続けて居りますが、退学生を如何にして導いて行くかというようなこともまた考えなければならぬ問題であると思います。

次に最後の表でありますが、これを見ると、京城には大変犯罪が多いようですが、しかしまだこれ位のことではありませぬ。
これは私共六七ろくしち名の主事、百貨店その他の機関から連絡して戴いたものだけであります。又中には簡単なものもあり、又悪質のものもあります。

併しこの間に出征応召遺しゅっせいおうしょうい家族の子弟がなかったことは、せめてもの幸いであります。又季節的、年度別的なことは表にって皆さんのご想像願いたいと思います。以上を以て終ります。

別所(大阪) この表で鮮人と内地人でどんな差がありますか。

有田(京城) 大体内地人二、半島人八と見て貰っていいのではないかと思います。

佐藤(東京) 實例じつれい四の主役の正確について、これ以外にお分かりになっていることがありましたら、お聴せ願います。

有田(京城) 大体ういう所でご承知願いたいと存じます。


お読みいただいて当時の朝鮮半島においても、内地(日本本土)同様しっかりとした教育が行われていたのがお分かりいただけたのではないでしょうか。

百貨店、書籍店、その他警察機関と連繋をとっていることがしっかりと日本の教育会にも報告されていました。にもかかわらず太平洋戦争終了後、何故か日本の教育界の一部慰安婦強制連行という濡れ衣を同じ日本人に着せてきたということです。

日本人・朝鮮人の区別なく、また在学生だけでなく退学生を如何にして導いて行くか後々の生徒のフォローも考慮、活動していたわけです。この状況下で在校女子生徒をさらったり、だまして働かしたなどという誹謗中傷が1990年になって突然浴びせられたわけですから、朝鮮引き揚げ者の心をどれほど傷つけたか想像していただけると思います。

国防服出征応召遺家族の子弟と表記があるように1941年の報告資料であります。既に朝鮮在住の日本人だけでなく、朝鮮人の若者もまた日本兵として出兵、その命を散らしていた時期であり、残された子供をしっかりと導くのが銃後の務めといわれていたのは朝鮮も同じでありました。

一方で鮮人と内地人という大阪の人物の発言に対し、京城の有田氏が半島人と答えている点を見逃すわけにはいきません。
これが明治以来、朝鮮半島を知る人、国(天皇の御心)の方針を知っていた人をして嘆かせていた内鮮の温度差、認識の差です。
朝鮮半島で高い道徳・倫理観をしっかり持っていた人、自分達が朝鮮では少数でしかないということを認識出来ていた人は鮮人という侮蔑的に取られかねない言い方は避けていたそうです。
これは日本人が本人ポンジンと言われたり、アメリカ人をアメ公呼びにするような感じでしょうか。
ですので、京城の有田氏はキチンと言葉を選ばれてお答えになっているのが分かります。

pointこういう言葉・対応の差が積み重なっていき、内地(日本本土)に留学・出稼ぎに訪れた朝鮮人の心に深い闇を作っていった・・・そして終戦時爆発したということです。


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