写真で見る併合時代2

朝鮮写真帖(2)

併合後の朝鮮の急激な近代化は京城けいじょう仁川じんせんを含む京畿道けいきどう、釜山を含む慶尚南道けいしょうなんどうの改革・インフラ整備だけに留まりませんでした。

いち早く西洋の仕組みを取り入れ近代化した日本の事務処理を朝鮮社会に浸透させるため(上下写真ともに背広姿が日本人)各地方のどう(日本で県にあたるもの)ぐんゆうめん(区・町・村にあたる)にも日本人を派遣。朝鮮の官吏かんりの近代化を急ぎました。

朝鮮社会においては古くから出世=官吏でしたので、写真の様にトラブルを避けるべく、朝鮮の官吏を押しのけることはありませんでした。

慶尚北道けいしょうほくどうの道評議会

合議の仕方も速記の取り方も全て日本式が取り入れられていきました。朝鮮語の読み書きが出来る人が少ないため、基本日本語での指導になり種々の専門用語も日本語が使われました。日本側が近代化を急いだあまり、朝鮮人による朝鮮語による西欧文明の理解・置き換えではなかったということです。日本の文明開化との最大の違いでありのちのち朝鮮から引き揚げた日本人が申し訳ないことをしたと言っていた部分でもあります。


左が京畿道(水原郡含む)右が忠清北道(青陽郡含む)・どちらも朝鮮総督府及所属官署職員録(大正15年版)

地方・末端では朝鮮人官吏が多いことが一目でお分かりいただけると思います。


写真左上が旧韓国時代の裁判です。地べたに直接容疑者を座らせて周りを取り囲んでいるのに対し、右下の併合時代の裁判ではキチンと室内で椅子に座って行われています。
当然ですが、司法関係者も日本人だけでなく朝鮮人もいました。

判決後の刑務所も、左下の写真の様に、隙間風が入る木造の粗末な建物(小屋)の旧来型に比べて、右上の様にコンクリート製の堅牢な建物に金属製の扉になっています。


恩賜おんし(天皇陛下からの特別金)事業。それまで自由に外に出歩くのですら許されなかった朝鮮人女性の社会進出をうながすべく様々な職業訓練施設建設や講習会も積極的に行われました。
朝鮮半島においては天皇陛下の名のもと様々な福祉事業も行わています。ここも日本の歴史認識と韓国の歴史認識で異なる部分になります。


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