伊藤公全集より抜粋

婦人の活動(前篇)

政府高官として明治維新後の日本に近代福祉の導入を計った伊藤博文の演説であります。また初代朝鮮総監として旧韓国への導入も伊藤博文の指導によって進められることとなりました。

本日は愛国婦人かいの大會をもよおさるるよしにて、委員諸氏の案内にて臨席したるが、この盛況を見て欣悦きんえつ(喜び)にえず。本会の成立及びこの盛況をていするにいたりたる次第は、只今ただいま鶴原長官より演説ありたれば、此處このところぜいせず。只今日本婦人が日本社会に興りし事柄に就き所感しょかんを述ぶべし。

そもそいずれの国においても国々の風俗習慣あり。東洋の婦人は、一家を治め、所謂いわゆる男は外に働き女は内を守るの風習なり。清国韓国しんこくかんこくの婦人は未だこの風習を脱せざるもののごとし。
ひと日本婦人や外に現われ、女子もまた男子を助けて社會の事にたずさわるに至れり。
けだし外に現われ社會のために働く事は東洋従来の風俗には絶えて無き所にして、全く欧米輓近ばんきん(最近)の進歩による

日本においても卅九年さんじゅうくねんには、婦人は社會の事業に携わることなく、公の席にも親類間の交際の外ほとんど出席せざる所なりき。今の婦人の社会に於ける事業につきて、予が関係せる事實じじつ二三にさんを陳述せんに、予は明治十五年憲法制度取調の勅命ちょくめいほうじて欧州に至り、主としてどくおうの間にあり、外国の帝室を訪問し各皇后にも謁見して親しく其社會の事業に盡瘁じんすい(力をつくす)せらるる實情を目撃したり

獨逸ドイツにては現皇帝の伯母にあたるお方は学校病院事業にすこぶる熱心にして、其費用を自分の得たまえる帝室費中の俸給ほうきゅうより支出せられ、欧州の風習たる銀婚式及び金婚式に各方面より捧呈ほうていせる金銀製の物品をばすべての費用に投ぜらるる程なりき。

しかして自ら女学校を創立し給い、時々自ら馬車にて臨幸(貴人が立ち会うこと)せられ、其教場は云う迄もなく庖厨ほうちゅう(台所)等をも巡覧じゅんらんあり、台所の清潔庖丁のさび迄も御注意あらせられ、校長には信用のある婦人を置きて監督せしめ、種々しゅじゅ御相談せらるる事も少なからず。
時に簡単にて清潔をむねとせる食卓に生徒と共に會食かいしょくせらるることさえあり、又病院もひとしく監督の下にかれ、時に自ら病室を見舞わるる次第なるが、予の在留中に熊本けん人某の入院し居りしを陛下には親しく慰問いもんあり、遠国おんごくの日本人が予の病院に入院し居るは誠に喜ばしき事なりと三個の蜜柑みかんを籠に入れて贈興そうこうせられたるがごとき、當人とうにんもとより聞くもの皆深く感動せる所なりき

露国ロシアに往て見れば、同国は土地広漠こうばくにして人民多きも、沃野よくや(肥えた平野)乏しきが故に貧民少なからず。従て棄児きじ多く、莫斯科モスクワには五千人余も収容せる棄児院あり。
これが総裁は露国代々の皇后こうごうにして、その建築等はすこぶる壮大を極め設備もはなはだ完全にして、皇后が事務をらるる事務室もあり、その養育は自己の信ずる婦人を以て監督せしめ、中には相應そうおうに年長の女もあるが、右は軍人等の遺児にして婚姻こんいんする迄教養せらるるなりと云う。

棄児受取の方法等は最も行届いたる者にて、何人なんぴとも棄児をすに其名前を告知するは恥とすべきところなるにり、これを遺棄する穴ありて、其處そのところに棄児すれば姓名もただされず、一片の受取書を交付せらる。しかして右には番号を記入しあれば、後日親にして其の児を尋ね見んと欲せば、番号に據りて直に會見かいけんし得る次第なり。
棄児院にて受取りたる児童は、湯浴ゆあみ(入浴)の上新衣しんいを着せしめ体重を計り、醫師いし(医師)をして監督せしめ、六箇月ろくかげつのち金をして地方の百姓に養育を託する順序なるが、其後そのごも時々巡回して注意をおこうる規定なり。

予が遊歴ゆうれき當時の英国皇太子妃すなわち今の皇后陛下は御手製の物品を販売せしめ、其利益を以て貧民救助の費にてさせられ、父母は毎日労働にづる時に児童を学校に預け、夜に至れば連れ帰らしむる規則なり。これ昼間は児童を棄て置きて労働に従うはむを得ざることなれども、親子の情愛はまでも喪失せしめざるの趣意しゅいよりして、夜間は家に帰らしむるものなりと云う。
しかして其学校は貴婦人をして最も親切に教育の事に従わしむるが故に、あまりに貧困ならざる者も入校を望むもの多きにより、貴婦人自ら出張して、果してその家庭が貧困なりや否やを検する程なりと。

此等の事例は欧州において一々列挙にいとま(時間の余裕)あらざる事なるが、予は歸朝きちょう(帰朝)の後これわが皇后陛下に親しく上申するところありしに、御感斜ぎょかんななめ(大層感心)ならずして、遂に華族女学校並に慈恵醫院じけいいいんの創立を見るに至れり。而して慈恵醫院は高木兼寛かねひろ主任として其経営をし来りしが、単に施薬せやく(貧者への薬の配布)に止まらず入院施療を爲すを要し、其費用も莫大にして之が維持の困難なるより、別に慈善會をも設立し、華族大臣紳商しんしょう(社会的責任を自覚した経済人)等の助力に依りて基金を作り、孤児院及び慈恵醫院に支出の方法をも設けたり。

日本赤十字の事業は、今はすでに故人となりたる佐野常民さのつねたみ等の創業に係り、最初博愛社の設けありしが、予の十五年欧州より歸朝きちょうして宮内卿とるや、これが助力の依頼あり、その総裁は故有栖川宮ありすがわのみや殿下なりしが、當時とうじ予は其名前の狭隘きょうあい(せまい)なるを思い、之を萬国共通一視同仁いっしどうじんの主義に基づく赤十字社と爲すべしと慫慂しょうよう(熱心にすすめること)したりき。
然るに當時は、十字の耶蘇教やそきょう(キリスト教)にちなむ宗教上の嫌悪より、如何いかがならんと疑惑をいだく者もありしが、赤十字は単に初の會合地かいごうちたる瑞西スイスジュネーブ州の紋を採用したるに過ぎざれば、決して偏狭へんきょうの意味あるにあらずとなし、遂に日本赤十字社を創立したりき。

我皇后陛下も欧州貴婦人の社會上に於ける實教じっきょうを聞きし召され、社會の事業に御心おこころそそがせらるる御事おんこととなり、以来学校の奨励しょうれいともないて社會の交際頻繁ひんぱんとなり、交際の頻繁は又た社會の事業を誘導するにいたれり。

今の愛国婦人會もひとしく慈善事業にして、夫人のやさしき慈善の心が社會の上に活動する者とうべく、れ最も婦人至當しとう(当たり前)の事業にて、此事このことたるひとり日本婦人に止まらず、韓国貴婦人諸子もまた率先誘導せらるるにおいては、其国の進歩を助くる事必ず尠少せんしょう(非常に少ない)にあらざるべし。
韓国婦人は単に慈善事業のみに止まらず、社會必要の事業についても関係すべき事はなはだ多く、例えば工業上においても女工を要する事多々あるべく、し婦人が此等これらの事業にむけて活動するに至らば、其国家を益すること甚だ大なるべしと信ず。

明治三十九年 十一月 十日 京城愛国婦人會支部大會に於て


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