京城での全鮮会議

第六回全鮮公職者大會経過報告

で囲まれているのが日本人児童の小学校を管理する学校組合員でが朝鮮人児童の普通学校を管理する評議會員となります。

この資料は昭和4年(1939年)の大会記録ですので、まだ学校は小学校(日本人児童用)に統合されていません。朝鮮人名が日本人名と同様に記載されているのは、各地方の有力者や学校評議員が顔を揃えて日本人と対等に議事運営をしていたからです。

こういう組合員に選出されるには納税額や日本語の理解・学識等が求められるため、おおむね社会的地位の高い人が選ばれていました。
そのため下の件名にあるように、地域の要望から経済問題、今後の朝鮮のありようについてまで幅広く議題に上がっています。また連名で提出しているものもあるので事前に会議をもって意見をすり合わせていたことも分かります。
会場は京城の府庁となっていますので、来庁者は最寄りの京城駅を降りて足を運んだということになります。


今の議事録と変わりなく細かく議論の経過が記されています。以下朝鮮に参政権を求める件の一部を書き出します。

議案「」朝鮮に参政権附與ふよ(付与)方要望ノ件

を議題に供す

瀬戸君(清津せいしん府議)
本問に入るにさきて自治の促進につき一言ひとことせねばならん
諸君大正九年にける地方制度の改正は日韓併合当時のすなわち韓国の舊制きゅうせい(旧制)を参酌さんしゃく(比較参考)したるものであるが爾来じらい(その後)十年をた今日の状勢より見れば適切を欠くもの多々あるを認めるものである
今後の政治はすべから上意下達じょういかたつ下意暢達ちょうたつでなくてはならぬとの立前たてまえから制度の改正となったものであるが、爾来諸般の事物進歩しこれを往時に比するにおいてはじつに雲泥の相違があるしたがって公共観念の培養にり自治的訓練も充分達成されて居るこの結果として自治の促進と云うこえが一段と高調(高まる)されつつあることは等しく認めらるるところである

由来ゆらい(古くから)自己を治むることあたがわざる(治めることができない)者が参政権を要望するはいささか矛盾かも知れぬ、乍然さりながら今日の吾々われわれこれを要望する総ての絛件じょうけん具備ぐびする(備えている)と言い

かつて釜山府協議會員かいいんが瓦電(ガス・電気)問題につき辞職せんとしたる當時とうじの理由すなわち其の聲明せいめいを聞くに参政権なき朝鮮は結局政黨せいとう(政党)政策のために血祭りに上げられたる感があり深く之を遺憾とするむねを力説して居る

一体現今げんこんの議會の模様を見るに果して朝鮮を理解して居るもの何人ありやと言いたい、従て内閣の更迭こうてつ毎に政策がかわ(変)り其の都度地方行政に變化を来し吾々の権利の主張は充たされぬ遺憾いかんがある
朝鮮より代議士を送るの必要はここらにると思う
半島二千まん民衆の福利増進のため是非共之が實現じつげんを期せねばならぬ、本案にたいし萬場の御賛成を切に望んでまない次第であります

(拍手起る)

孫致殷君(大邸たいきゅう学評)

只今の御話で少し理解しがたところがあります
先日拓務たくむ大臣(朝鮮・台湾等の外地を統括していた省の大臣)にたいし某有力者は在住内地人のみに参政権を認められしと言われたそうであるが、其の他朝鮮に特別立法機関を設ける案もある、説明者は夫等それらの内いずれを指摘するものであるか

瀬戸君(清津府議)

帝国議會に内地人朝鮮人各一名を送ることにしたい

孫致殷君(大邸学評)

動議を提出するすなわち朝鮮に参政権附與ふよ要望の件と「二」の朝鮮に特別立法機関設置方要望の件は何れにしても大体同様と思う、之を合併審議するか又は単獨たんどく審議とするかを先ず決定したいと思う

成松君(京城けいじょう府議)

参政権附與の件に付これを内地人のみとせるごときはたんなる誤傳ごでんに過ぎず之に付ては一寸ちょっと説明申上げねばならぬ
又本案の趣旨は帝国議會を目標としたものであるので之は左様さように御解釋ごかいしゃくを願い度い
甲子倶楽部においても此の参政権問題は随分論じられて居りますが、もひとここに朝鮮議會説がある
之は相當そうとう賛成者もありますけれども日韓併合の趣旨をたいし内地延長主義に立脚せる参政権附與に賛成であって朝鮮議會説には絶對反對ぜったいはんたいであります
「内地人のみに」云々うんぬんとのことでありまするが之は先に拓相招待會の席上私が説明せる点をる新聞の誤報ごほうり自然誤解されたものと思います
ここに拓務大臣に陳述したことを述べて釋明しゃくめいに代えたいとおもいます
朝鮮に参政権をあたえよということが朝鮮人に参政権を與えよと聞えたり、又は朝鮮にと言うを朝鮮全道(当時は13道・日本の県に相当)にと誤まられるようである
しかし朝鮮には朝鮮人の外に四十三萬の内地人が在住して居る、是等内地人は朝鮮に在住してる爲に参政権がないのである
此の内知人ないちじんに對しても相當考慮する必要があろう
朝鮮人には未だ自治的訓練が足りないと言う者があるが勿論もちろん全鮮の朝鮮人としてえばそうであろう
而し主要都市には十分訓練のある内地人が多数居住して居る、従って是等これらに接触する朝鮮人は相當に訓練が出来て居る
参政権は人本意にあたえるものでなく地域的施行しこうにすべきものである
要するに吾人ごじんの主張するところは勿論内鮮人等の区別なく先ず適當の主要都市に之をあた漸次ぜんじ(だんだん)朝鮮全道に及ぼすべきものであると信ずるのであります

本案は決して一夜作りの案ではない
国民協會は勿論、甲子倶楽部に於ても相當長く論議し来ったものである、参政権と言えば政治に参與さんよすると言う意味に於て、朝鮮議會をおこし之に参與することも参政権の附與ふよであると思って居る人もあるようであるが、我々の主張する参政権は帝国議會に参與することであります

蔡容默君(咸南道かんなんどう評)

一號いちごう議案の「ロ」と第二號議案、第十九號議案は一括審議の動議を提出する

議長(藤村君)

第一號議案の「ロ」と第二號議案、第十九號議案は別個のものと思考す、従て
合一ごういつすべきものでないと存じます

孫致殷君(大邸学評)

時間の節約上一括することを希望します

安藤君(京城府議)

内容は夫々それぞれ異って居ると思うので一括には反對します

賛成と叫ぶものあり(拍手起る)

議長(藤村君)

しからば提案どおり進行致します

孫致殷君(大邸学評)

近来朝鮮の産業文化は著しく進歩しつつあるのであるが其の反面において、農民のじつ生活は日に衰退し刻々こくこく恐るべき脅威の手におおわれつつあることは否み難い事實である(此の間英国の殖民政策に関する事例につき詳細説明あり)

而も近来幾千の高等教育を受けた者が朝鮮に帰り果して何事をか為しつつある惜しいかな所謂いわゆる高等遊民(学あっても職がない)となり随所に失業の悲鳴を挙げつつあるではないか
如斯かくのごとし現状の打開救済は一に参政権の獲得によりてし得るのみと言わなくてはならぬ

本案の要旨は代議士を東京に送ると言うにある
しかしながら之にたいし東京の議會は快く賛成するであろうか恐らく彼の中野正剛氏が大正十二年十二月の議會において其の意思をあきらかにしたる通り帝国議會は恐らく之を許さぬものと信ずる

朝鮮のことは朝鮮自ら之を解決せよと言うに何の矛盾がある
併合二十年豫算よさんに於て既に三倍を越し今尚いまなおこの悲惨なる現象を目撃する

要するにこの行詰いきづまれる朝鮮においこれが解決方法は、いちに朝鮮に特別立法機関を設置し自由に朝鮮問題を討議するに在る
将来永久に望みがた斯種このしゅ参政運動は決然としてつべしむしろろ余の提唱せんとする處に向って邁進することが策の得たものではあるまいか
従て私は本提案には遺憾ながら反對の意を表明する

丸山君(忠南道ちゅうなんどう評)

私は無條件に賛成する
辯士べんし(演説者)は朝鮮人生活の疲弊ひへい困憊こんぱいせる点をげて縷々るる(こまかに)説明せられたが、私は今日只今ただいま左様さよう考えて居なかった
果して御説の通りだとすれば如何いか怠惰たいだの国民であろうこと思わざるを得ず
英国の事例も詳細拝聴したが、かることを本席において発表されたのは遺憾とする
吾々は内鮮の別なく常に共栄を主義とするものである
然るにいち中野それがしの説を以てあたかも帝国政府の代表的言明のごとく言われましたが彼何者ぞ、彼等如き者の意見をもって代表的のものとしての御説明のあったことを遺憾いかんとする

同感同感のこえあり

聞くところれば衆議院議員のことは知らず、朝鮮より先ず以て貴族院議員だけでも出したいとのことで研究されていると言うことを或る有力な方面より通信を得て居る
然るに前辯士は将来永久に不可能と説かれた、私は左様考えて居りません
必ず出馬すべき信念を持つものであります

共栄の目的に内鮮の関係はあるまい、何を苦んで内地人が鮮人の来るを防ぐべき必要があろう
近き将来にて必ずや朝鮮より代議士を出すことは論ずるまでもないことを信ずるが、ただ要は時期の問題に過ぎぬと思う

議長(藤村君)

休憩致します

(午後0時十八分)

きちんとした議論がされ、内鮮人共自分達の住む朝鮮半島の発展向上を願って活動していること。また既に併合から20年近くたった当時、朝鮮人の活躍なしに朝鮮半島の近代化は成しえなかったということが分かります。

この部分こそが戦後GHQ主導の日本の近代史教育から消されたまま今日に至っている大事な問題でもあります。

戦後朝鮮半島から戻った日本人たちは普通にそのことを話していてもそれが紙面に電波に乗ることはなく、朝鮮が一方的に従属していたような発言・記述が相次ぎました。
それが近年ではインターネットの普及から一方的な報道をする既存メディアへの不信感写真資料等の共有化により、朝鮮近代化が学校での学習やメディア情報とは違うという理解広がりました。
しかし十分な議論がなされないままの為に、今度は残念なことに日本が朝鮮を近代化してやったという短絡的な物として語られがちになっています。
ですが実態はどちらも違うということです。極端な論に流されないようご自身でしっかり資料を比較検証していただけたらと思います。

poin孫致殷大邸学評が日本の政治家の言葉をもって永遠に参政権を朝鮮人には寄こさないのだろうと考えているのに対し、丸山忠南道評が内地の一介の議員の発言と否定しています。
ここもまた併合最後まで朝鮮の内地人を悩ませた深刻な内地・外地の認識の差になります。
内地より出ることなく、外地朝鮮を自ら訪れ実情を見聞しないで、どこからか聞きかじった知識で私見をひけらかされるたび誤解を解かねばならなかったのは朝鮮側の日本人でした。毎日顔を合わせる人達とのトラブルを望まないのが普通です。
伊藤博文亡きあとの朝鮮行政の問題は、持ち回り人事のようになり日本本土側が現実の朝鮮を深く知らないというおかしなことから始まっていきました。
結果、無責任な発言が横行し、ただでさえ日本側の真意を計りかねている朝鮮人側を刺激することになりました。

結局朝鮮には参政権は与えられることはありませんでした。
日本政府の大正時代の経験(大正7・8・9年の反日勢力による独立阻止活動)から作り直していたスケジュールでは時期尚早だったのでしょうが、予期せぬ太平洋戦争の勃発そして大敗北により朝鮮にいた内鮮人達の思いは報われることはありませんでした。

朝鮮人人口2000万人といい、そのうち日本人40万人となっていることも重要なこととなります。ここも以外と見落とされがちですがのちのち触れていきたいと思います。

point太平洋戦争後、韓国が建国されると国策として反日政策をとりました。
当然のように政権幹部たちは、併合時代、朝鮮の民は徹底的に差別・搾取さくしゅされた、それを救ったのが今日政治をった李承晩りしょうばん(イ・スンマン初代韓国大統領)をはじめとする我々であるといい、国民にそう思い込むよう教育をいていきました。
結果、資料に名のある朝鮮人の方達の多くは裏切者扱い又は日本に迎合した卑怯者とされた中で残りの人生を過ごさなければならなくなったのです。
また戦後、北朝鮮になった側のどうを担当されていた方達がどうなったのかは、今までの報道でも容易に想像がつくことと思います。
問題はそれに対して日本側からの反論を、決してそういうことではなかったということを日本政府にだけ押し付けてだんまりを決め込んだ人達がいたということです。
地図(総督府と南大門の中間あたりの太平通に廳府表記)の位置に新聞社は支局を構え取材をし新聞を発行していたのですから、併合時代の非は非として認めても事実と異なることに対しては日本の為、また併合時代に日本に協力して下さった朝鮮人(南北問わず)の為にも言うべきだったはずにもかかわらずです。
そういう人達の属していた組織戦後も相当たってから出してきたものが慰安婦強制連行説になります。