学校組合・学校評議会

学校組合

朝鮮年鑑(昭和15年版・1940年)

沿革

朝鮮にける内地人ないちじんの教育に関する事務は、當初(当初)居留民の任意に組織せる諸種の團體(団体)においこれを處理(処理)して来たが、明治三十九年帝国政府に於て帝国居留民團法を、次で同四十二年総監府そうかんふに於て学校組合令を発布して、共にの法人格と自治能力とを認めるに及び京城けいじょう仁川じんせん釜山ぷさん其の他、おもなる開港場にあっては居留民團を、其の他にあっては学校組合を組織して之を経営するに至り、事業の基礎始めて確立するにいたった。

しかるに総督府そうとくふ設置後大正三年四月地方制度を整理統一するに際し、便宜上一時存続せしめた居留民團制度を撤廃して京城其の他居留民團所在地等府政き、此等の地域にける内鮮外人に對(対)する公共事務は府に於て處理することとなった。

然し教育上の施設および負擔(負担)に関しては民度及言語の相異かんがみ、尚暫なおしばらく内鮮人を共通的制度の下に置くあたがわざる事情あるをおもんぱかり、既設学校組合の存続を認めると同時に、従来の民團事務ちゅう内地人の教育に関するものに限り、府の区域内に学校組合を新設してこれを承継せしむることとし、此の趣旨にもとづき、学校組合令を改正して府制と同時に之を施行した。

素直に読めば、日本は最初から朝鮮を差別する目的で学校を分けて管理していないのが分かります。しかし敗戦のショックからか太平洋戦争戦後は日本の学者までが朝鮮を徹底的に差別・搾取していたと言い出し、事実を知る朝鮮引き揚げ日本人を嘆息たんそくさせました。

府において公共事務の手続きが行われたことにより、朝鮮で生まれた日本人の出生届は一旦総督府に集められたあと定期連絡船によって本土へと運ばれて行きました。
このことが終戦の混乱によって引き揚げ時、安否不明になった仲間の確認を可能にしました。
朝鮮に居たさい、自分あるいは親はどこ出身と話していた言葉を頼りに、親しかった職場の仲間が、学校の友人が、隣人が町村役場を訪れ帰国の確認・連絡を取っていきました。
全て(仕事・家・財産・学校)を失った引き揚げ者は本籍地に戻ったケースが多かったからです。

元町公立小学校沿革史にあるように、明治40年代に入ると児童数が激増して来ているのが分かります。近代化事業が加速するにともない増えた児童の就学を支援・管理することも総督府並びに組合の大切な役割でした。

組合の組織

改政令にれば学校組合区域内に居住する内地人を組合員とし、組合に組合かいを置き一定の資格を有する組合員の選挙したる六人乃至ないし十八人の議員をもって組織し重要なる事項はの決議に依りこれを執行することとなっている。

府の区域内の学校組合においては、府尹ふいん管理者の職務を執行し、其の他にありては信望ある組合員中より道知事の任命した管理者組合事務を執行し、其の多くは名誉職である。
しかして昭和五年(1930年)地方制度の改正に際し、府の区域を包含ほうがんする学校組合は之を廃止し之が教育事務は府の第一部特別経済に属せしめることとした。

地域により経済の大きさにバラツキがあるため、組合員の資格は総て共通だったわけではありません。しかし、おおむねその地域の経済に影響を及ぼす企業経営者や納税額の多い個人、知識人というべき教育関係・出版関係者などが多かったといわれています。

名誉職、要はただ働きどころか持ち出しもあったということです。ですので収入の大きさが一つの目安にもなっていました。その代わり、この学校の時計は何々さんから寄贈、この二宮尊徳像は誰々さんというようにプレートがつけられ名誉が称えられていました。

京城元町公立小学校沿革史より

年月 寄贈名 寄贈者
昭和16年10月30日 報国塔落成入魂式

村上 多嘉喜氏
武井 千萬人氏
黒松 又七氏

昭和17年7月15日 校内放送施設完成 元町2丁目90番地
金子 梅吉氏
昭和18年3月25日 大太鼓入魂式 元町2丁目90番地
酒井 巌氏
昭和18年4月10日 校長室並びに講堂の神棚鎮座祭 元町3丁目252番地
池田 英太郎氏
昭和19年8月5日 プール型防火水槽及付属モーター洗面所、便所工事竣工 黒松 又七氏
脇田 仁助氏
村上 多嘉吉氏
父達の学校の沿革史から抜き出したものですが、高額な寄贈をしているのが分かります。
戦費が総督府予算を圧迫する中、朝鮮における学校教育は太平洋戦争終了まで周囲の組合員によって支えられていました。

プール本土空襲を受けて防火対策として作られて居るわけですが、結局京城空襲を受けることはありませんでした。
父の当時の思い出の舞台がこれになります。完成からわずか1年後の夏のことでした。


組合の事業

学校組合の事業は尋常じんじょう小学校経営を普通とするが、高等女学校を経営するものもあり都市の組合では高等女学校、實業じつぎょう学校をもあわせて経営している組合経営の学校は昭和十三年五月末現在に於て小学校五百十一、高等女学校卅二さんじゅうに
實業補習学校一、實科女学校八で合計五百五十二校である。

朝鮮半島は本州並の広さがあり資材運搬のこともあって日本に近い港のある南側から発展していきました。
そのため、産業も未発達の言葉も通じにくい朝鮮人集落の多い北鮮生活より、女子児童を抱えた家族はやはり南側都市へと集まる傾向(主に京城、釜山、仁川など)が強く、自然と女学校もその一帯に多く作られ運営されました。

朝鮮社会では、女性の社会進出どころか学業習得に対しての理解も遅れていましたが、日本に感化された先進的な朝鮮人家庭は特別枠(日本人の推薦一定額の月謝など)という形で自分の娘を日本人の女学校に通学させる人もありました。
割高な月謝朝鮮人は非組合員であるためであり、今の私学で入学時に寄付を求められる感覚に近かったそうです(この部分はあくまで私が日本人側の話を聞いた限りにおいてのものです)

組合の財政

学校組合は創立日なお浅く、収益財産としてみるべきものなく、賦課金ふかきんを以て其の主たる財源となし、維持困難なるもの多きを以て国庫より経常費にたいし年々補助をあた(与)えつつあった。

最近数年の学校組合財政状況は、大正九年度豫算(予算)においては主として物価騰貴とうき(値があがること)に伴う教員給料其の他経費の増加、学校、学校の増設にり、又一方平均約八割の賦課金増課並に国庫補助金其他の収入の増額を計上せるため、歳入歳出共に著しき激増を来し、大正十年度以降昭和五年度の間にありては主として賦課金の増率、国庫補助金の増額と、学校、学級、の増設等に因り大體に於て多少の増加を示したが、昭和六年度以降は府の区域を包含する学校組合は之を廃止し府の第一部特別経済に属せしめたため激減した。
今昭和十三年度にい於ける学校組合の概況を示せば次の通りである。

組合数四五八、組合員二二五、五八二人、豫算四、二二一、九九一圓(円)
一戸當平均賦課額十六圓四八せんりん

組合の監督

学校組合の監督は第一次は郡守島司、第二次道知事、第三次は朝鮮総督そうとくである。組合規約の變更(変更)組合の起債および其の方法利息の定率及償還しょうかんの方法を定め、又は其の變更を爲すには朝鮮総督の許可を要する。
しかして道知事は組合管理者にたい懲戒ちょうかいを行うことが出来る。

財政面では学校教育関係以外でも明治期より国庫からの多額の補助がありました。

常に日本の国家予算から多額を朝鮮に吸われていきましたが、国策として朝鮮近代化を急いでいた為のことであり、国の上層は当然のこととしていました。

一方、朝鮮の近代化が如何いかなるものか理解しない、しようともしない国民の不満は次第に高まって行くことになりました。
大正期後半の日本全体の経済状態の悪化は朝鮮の日本人学校経営にも影響を及ぼしただけでなく、本土日本人の優遇される朝鮮にたいする苛立いらだちにも悪影響を与えました。
このことと総督府予算に対する厳しい野党の批判もあり、日本人と朝鮮人の児童の教育一本化、いわゆる皇国民教育(教科書の統一を含めたカリキュラムの単純化はコスト削減と戦時体制への移行の一挙両得)へと進ませることになって行きます。

point同時にそれらのことは財政の独立を含んだ朝鮮を今後どう扱うのかという国の重要な判断にも影響を与えていくことになりました。

また、組合に対する監督権を朝鮮総監が独占的かつ直轄していない、間に道知事が挟まっていることも見落としてはなりません。

朝鮮年鑑・昭和15年(1940年)より歴代道知事氏名

京畿道けいきどう 京城(現ソウル)と仁川をもち、総督府、王宮、軍司令部が存在。鉄道施設は本土ー満州間、開戦後は東南アジアへの兵員・物資輸送を担っていた朝鮮半島の最重要地域
慶尚道けいしょうどう
(南・北)
歴史的に日本とつながりが深く、京城近代化に対しては東京と横浜の関係にあたる港町釜山をもつ。開戦後は東南アジアへの物資輸送、転戦命令の部隊、朝鮮人志願兵を多数送り出した南鮮の重要地域
平安道へいあんどう
(南・北)
京城に次ぐ大都市平壌をもつ。満州国建国前後からの戦時をにらんだ国力増大計画において重工業化が促進された北鮮の重要地域

併合時代は13道体制でしたが、知事名をご覧になるとお分かりになると思いますが京畿・慶尚・平安以外は朝鮮人の道知事が多数歴任していました。
早い段階から日本人側への様々な権利を行使できる立場に朝鮮人がいたのであって、日本側が独断でものを決めたり勝手にことを進めたりすることは組織的にもありえませんでした。

当然、日本人側と朝鮮人側がトラブルになればどういうことが起るか朝鮮半島に暮らしていた日本人は理解していました。

今の時代でいう県知事クラスを怒らせた場合、管理される学校組合がどういう不利益を被るか想像するのはたやすいと思います。

慰安婦強制連行の真偽が問題になっても、かたくなに日本の歴史ある新聞社旧帝国大学の近代史の教授が語ることをしない部分でもありますが、皆さんの目でじっくりと資料を読み、果たして実態はどうだったのか考えていただけたらと思います。