日本人と朝鮮人(5)

兵站基地へいたんきち朝鮮

二章目最後は、兵站基地としての朝鮮がいかに優れたものかを説き、また今後拡大する大東亜共栄圏の重要な役割を我等がになうと宣言します。

兵站基地朝鮮

これ等はいずれも、施政三十年の新しき歴史の上にきずかれた、自覚する朝鮮の新しき傳説でんせつである。
傳説よ生まれ出よ、その感激は永く後世こうせいに語りつがれ、それ等美しい物語の中から新しい朝鮮はすこやかな成長をとげるだろう。

要するに朝鮮は大東亜の盟主日本を構成する重要な柱の一つである。
私共はあくまでもこれを皇道日本に融合せしめ、朝鮮をわが皇道統治こうどうとうちの典型たらしめて、わが大東亜構想にけるすべての意味での前進基點きてんたらしめるのだ。朝鮮の人々の大やまと民族的自覚と感激、その大いなる基礎の上に、今日朝鮮の果すべき大陸にたいする兵站基地的使命が生れる。

永く後世に語りつがれるどころか、全く異なる歴史で塗り込められようとは朝鮮総督府もこの時点では思いもよらなっかたでしょう。
pointここでも書いていますが支那・満州周辺(おおむね現在の中国)の大陸は日本が攻める戦争地域ととらえているのに対し、半島朝鮮はそこへの兵站基地としています。
朝鮮に暮らし朝鮮を治めていた総督府そうとくふ官吏かんり(役人)の戦争もしていない、半島内での反乱行為も起きていない、内鮮がまとまっているという現状認識に基づいているのです。こちらが併合後半の朝鮮の真実の姿であり、本来の日本の歴史認識です。
戦後の李承晩りしょうばん大統領率いる韓国が、自分たちに都合よく作り替えて国民に押し付けた歴史認識とは合うはずがありません。
ですから当時の状況(朝鮮戦争後から始まった水面下での日本の働きかけが功を奏し韓国有志が朴正煕パクチョンヒ大統領を擁立ようりつ)を受け南鮮域の共産化(韓国崩壊)という最悪の事態を避けるため日本側の賠償請求権を放棄する代わりに日韓基本条約で確認したものが今後両国の歴史認識をぶつけないという約束でした。これを無視し無理に合わせようとする人が韓国のみならず、日本側でも後を絶たないのでトラブルが続いているのです。
戦後の部分は別途取り上げますが「日本側の~」というのが一体何だったのかが分かるとき、朝日新聞社慰安婦問題報道と周囲でそれを利用した大学教授や日弁連の弁護士の悪質さが際立ってきます。

大陸兵站基地たいりくへいたんきち

兵站基地半島は何も食料の供給ばかりではない。
米の朝鮮の名を以てうたわれた穀倉こくそう半島は年々一千萬石まんごく内外の米を内地に移出し、更に昭和十六年から六ヶ年六百八十萬石増産の計画をて、昭和二十一年度の産米三千五萬石を確保する豫定よていを、更に現下食料基地として半島の負荷ふかする喫緊きっきん(優先事項)の任務にかんがみ、昭和十七年度以降に於て一千百三十七萬石を増産、昭和三十年度三千四百六十二萬石を目標とする大増米計画に改訂かいていしたのであるが、今日朝鮮の兵站基地的適性は、何が不足で、何があまりすぎるということなく、比較的均衡と調和を保って発達し来った原始産業爛熟らんじゅく(最高潮)の上に、近代産業、特に豊富なる電力を背景とした各種の近代工業旺盛強靭おうせいきょうじんなる成長をとげているてんにある。

ところで兵站基地とはどういうことであろうか。
それは前線部隊に對し常に作戦に必要な萬般ばんぱんの軍需物資補給の連絡を擔當(担当)し、部隊の作戦行動に遺憾いかんなからしめる所の国内根據こんきょ地を意味する。

国内にあれば既に現地調達であって、兵站基地という以上それは必ず内地にあらねばならないものである。
しかもその敏速緊密びんそくきんみつなる連絡保時の見地よりしてあたう限り作戦地にたいして近距離にあること、ことに海上輸送に多くの危険を豫想よそうせらるる今日、それが地続きにあることを非常に得策とする。

ここおいて今次大陸作戦に於ける兵站産地が大陸の地続きである所の半島まで押し進められた地理的特性がはっきりして来るのであるが、しかもなお、内地にあることを原則とする兵站基地をえて大陸朝鮮にまで押出さしめた所のものは、半島の内地化、安心して任して置ける所の精神的一體感いったいかんにあるのであって、てん支那事變を契機として内鮮の不可分的一體感いったいかんはむしろ意外の方角から促進されつつあるともいえる。

すなわち内鮮一體は、大陸兵站基地と盾の表裏をなすと断じても差支えないであろう。兵站基地として挙国の信頼をあつむ、半島また大いに期する所あらねばならぬ。

しかも此の征戦日本の輿望よぼう(期待)にこたえるべく、朝鮮はその兵站基地的適性に於ても完璧の態様を整備し、内鮮満を通ずる緊密なる輸送網を強化すると共に、敵国海空軍よりする朝鮮海峡遮断しゃだんの如き脅威に際しても、断乎相當期間を獨力で重任を果すべき十分の實力じつりょく蓄養ちくようしつつある。
それは単に連絡上近くて便利だという程の可能性のものではない。すでに押しも押されぬ一本立いっぽんだちの兵站基地である。

朝鮮半島は日本から大陸への窓口として安定的に軍隊を物資を置ける場所になったと誇っています。急激な朝鮮人の日本人化が朝鮮総督府の思惑おもわく以上に進み朝鮮半島の日本化に自信を深めていたのです。

いい加減な学者は兵站基地という言葉をもってまるで朝鮮が戦地のような扱われ方をしたかのように言いますが実態は違いました。
出撃に備える部隊は日々訓練にはげみ、ときに休む。戦地より戻った部隊は海を渡り内地に戻る前に一旦兵装を解き休息をとる。それが出来なければ兵站基地とは言えませんでした。
敵襲におびえることもない、テロの心配もない。朝鮮はそれが可能だったからこそ、ここで総督府は誇ったのです。

point内鮮満(日本・朝鮮・満州)の輸送網強化とありますが、第二十師団管区の置かれた龍山の役割を見ていただければこの文言の重要性がより理解できます。
朝鮮海峡遮断の如き脅威とありますが、この時点では危惧されていただけでした。
しかし昭和20年6月の沖縄戦大敗北は朝鮮半島と本土とを分断するだけでなく、沖縄をアメリカ軍の兵站基地として取られたことにより、朝鮮半島上陸作戦が可能となりました。そして、そのことが朝鮮半島に暮らす内鮮人に最大の悲劇をもたらしました。
ここは今日の日本社会にとっても大事な問題となります。戦後、日本のメディアや学者・弁護士が国民をあざむき隠し続ける最大のカギ部分でもあるからです。
あらためて取り上げますが、国民の知る権利、正しい歴史認識という言葉がいかに空虚くうきょなものだったのかがお分かりいただけるでしょう。

多望なる将来

日本海はわれ等の湖である。それはもう何も新しい言い方ではない。
その日本海をかこ内鮮満の環海かんかい地帯は、いまめまぐるしい興隆こうりゅう(いきおいよく盛んになっている)を示しつつある。日本海湖水化時代、あるいはまた裏日本うらにほん時代とも呼ばれるのがこれである。

もとより帝国今日の偉大なる飛躍ひやくおいて従来の日本はいまや隠居所いんきょじょにすぎず、われ等の関心は、南にあると同時にまた北にあり、裏日本、表日本の名は當然とうぜん變改へんかいせらるべく、今日いう所の表日本はすでに飛躍する明日に於て、南にたいしても北に對しても表たる資格を有しないと思われるが、とまれこの湖水化時代の訪れは、海運の改善整備と相俟あいまって、北日本に新興する一大産業圏の建設に外ならぬ。
しかして、これを動かし、此の大産業圏の指導力を握るものはわが朝鮮である。

朝鮮の産業は、自給自足を建前とした原始産業げんしさんぎょうの調和的な発達の上に、工業発達の常道を行って、繊維工業を中心とする軽工業の発達に始まり、次で軽工業機械、更に時局の要求に伴う重化学工業、精密機械工業等の国防産業が発達した。

したがって物資の生産にすこぶる均衡と底力があり、更に土地の広大、労力の低廉ていれん豊富、原料資源の豊富なるに加えて、電力の供給も最も潤澤じゅんたくであり、その生産力はなお将来に洋々たる拡充の餘地よちを存している。

特にその電力は水力発電可能地點ちてん百五十五個所、出力五百萬キロワットと称せられ、まさに無尽蔵ともいいべき電力資源を有し、赴戦江ふせんこう長津江ちょうしんこう等の大発電施設を始め、世界第二の大設備である鴨緑江おうりょくこう水電の水豊すいほうダムも昨年完成して発電を開始し、半島にける大工業の発達は、此の無限の電力を背景として建設せられたりというも過言ではない。

すなわち朝鮮が裏日本時代の先陣を切り、更には大陸兵站基地として萬一の場合には単独でも一定期間この任を果たそうという自信乃至ないしは力量というものは、一にこの豊富なる電力の背景にあるのであって、此の電力と豊富なる資源、低廉ていれんなる労力の三拍子揃った工業立地條件に於て、半島の産業は前途益々洋々ますますようようたり、大陸兵站基地たるの職責を全うし得るのである。

また新たなる南方共栄圏の開発においても、その豊富なる資源の工業化に於て朝鮮は更に大いなる役割を負荷されることとなろう。
朝鮮の前途はいよいよ多望であり、しかも幾らでも引受ける。造作なく此の啖呵たんかが切れるのが朝鮮である。
内鮮一體の根底に築く大東亜戦の兵站基地朝鮮、二千四百萬はわき目もふらずただひたむきに此の一つのものの完遂に邁進まいしんする。

原始産業(農業・牧畜・漁業等)から繊維産業、軽工業(食品加工業・生活雑貨・製紙印刷等)と書いてありますが、要は併合とは日本の近代化を手本に朝鮮の近代化を速度を上げてしていただけですので同じプロセスを経ているのです。

そのために必要な資材は、最初のうちは日本から運ばなければ朝鮮の遅れた状態では現地調達が出来ませんでしたので、下関港や博多港から近い釜山港、あるいは京城に近い仁川港に船で運び陸送していました。結果、南鮮域の王都京城けいじょう(現ソウル)と仁川港をもつ京畿道けいきどう、釜山港を持つ慶尚南道けいしょうなんどうが先に原始産業、繊維産業、軽工業主体で発展、都市化しました。
当然ですが製造業を起こしても輸出先がなければ経済は活性化しません。朝鮮にとっての輸出先(朝鮮は日本なので輸移入ゆいにゅう)が日本本土と満州だったのです。

日鮮満とは今日のような日本史の授業のわずかな時間で触れて終われるほど簡単な結びつきではなかったということです。
ここをほとんど習うことがないがゆえに、朝鮮戦争から日韓基本条約締結までの長い道のりを岸信介を中心に動いていったことに重要な意味があること、さらにこの政治家が下した重い決断も一般の日本人には伝わらなかったのでしょう。

ここでもう一つ重要なものは発電施設です。文中、総督府が誇っているように完成したての当時世界2位の鴨緑江おうりょくこうの水豊ダムを筆頭に赴戦江ふせんこう長津江ちょうしんこうの水力発電なくして新しい産業である重工業は展開出来なかったのです。そしてこれ等の施設と電力を頼りに出来た大規模な化学工場や軍需工場は南鮮側に遅れて開発が始まった北鮮側にありました。
point大東亜戦争(太平洋戦争)最終盤、突然ソビエトは日本領朝鮮に軍事進攻を開始。これにより内鮮人区別なく地元住民を大量虐殺し、略奪の限りを尽くしました。結果発電施設や工場ごと北鮮域は共産主義勢力の手に落ちたのです。
このことが北朝鮮誕生に繋がり、南北分断後の韓国が北朝鮮に対し劣勢にたたされた原因となりました。
日本が大東亜共栄圏を支えるべく用意していたものが戦後の共産主義の世界支配獲得の助けとなってしまった。これを阻止することが互いのメリットになる。これが政治家岸信介を支えて戦いを始めた戦後の内鮮人達の多くが勝共(共産主義の影響力拡大を阻止する、勝利する)というキーワードで結ばれる理由でもあります。

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