日本人と朝鮮人(11)

六、飛躍ひやくする半島産業 1

「前進する朝鮮」第6章は併合へいごうより施政しせい30年、目覚ましい発展をげた朝鮮半島の産業について触れていきます。

農林水産

半島農業の王座をめているのは米である。
それは年々満州雑穀まんしゅうざっこくを代表して一千萬石まんごく近くを内地に移出いしゅつし(日本内なので移出)帝国食糧国策上に牢固ろうこたる(しっかりとした)地位を占めており、平年作へいねんさくし五割近い減収を示した昭和十四年の大旱魃だいかんばつが、全国の食糧事情にあたえた大異變だいいへん憶出おもいでは未だに生々なまなましく、その痛手は今日なお完全には解消していない位である。

したがってここに大共栄圏を一貫する食糧国策の確立は喫緊きっきんの急務となり、昭和十四年の大凶作だいきょうさくを天の試練として、十五年度以降六ヶ年計画の下に六百八十萬石の増産計画を樹立、更に大東亜戦下に要請される食糧事情にかんがみ(らし合わせて)これを改訂して、昭和十七年度から総額七億五千万円の事業費を投じ、耕種法こうしゅほう改善によって五百十八萬石、土地改良五十三萬町歩の實施じっしによって六百十九萬石、合計一千百三十七萬石の増産をはかり、昭和三十年度おいて三千四百六十二萬石の産米を確保することとなった。

すなわち現在の収量からさらに五割の増収を企画するものであって、真に画期的の大擴充だいかくじゅう計画であるということが出来る。
ちなみに最近五ヶ年間にける産米實収高さんまいじっしゅうだか比較および十六年度のかく道産米高どうさんまいだかを示せば次のごとくで、十六年度の實収高は水陸稲みずりくとう合計二千四百八十餘萬よまんごくとなった。

この反當たんあたりり収量は最高の全北ですら一石七斗いっこくななとで内地の総平均一石九斗におとり、指導次第でなお相當そうとうの増産が期待せられるのである。
また咸北の凶作は極端な冷害のためであって、十五年度の實収高は一萬九千餘町歩にたいし十九萬二千二十餘石、反當り一石強いっこくきょうの収穫であって決して米作に適しないわけではない。

昭和16年度各道産米高

道名 作付反別(町) 収穫高(石) 反当り収量(石)
京畿道けいきどう 195,739 3,123,649 1.60
忠清北道ちゅうせいほくどう 68,201 1,120,329 1.64
忠清南道なんどう 160,580 2,526,218 1.57
全羅ぜんら北道 165,779 2,814,989 1.70
全羅南道 198,608 3,062,542 1.54
慶尚けいしょう北道 185,900 2,901,300 1.56
慶尚南道 169,664 2,800,628 1.65
黄海道こうかいどう 149,132 2,187,990 1.47
平安へいあん南道 83,083 1,036,305 1.25
平安北道 94,741 1,459,398 1.54
江原道こうげんどう 87,444 1,100,534 1.26
咸鏡かんきょう南道 67,682 717,748 1.06
咸鏡北道 19,324 34,012 0.17
1,645,877 24,885,642 1.51
朝鮮半島での大旱魃だいかんばつは日本を直撃、同昭和14年(1939年)12月1日、白米禁止令(7分づき以上の米の販売禁止)が出されるほどの騒動になりました。
現在のように米のブランド化や産地を気にするような販売ではなかったので、内地(日本本土)の日本人は朝鮮半島に関心を払わず、内地在住朝鮮人を差別しながら、知らず知らずのうちに朝鮮産の米に世話になっていたのです。

実はこの米騒動が真珠湾攻撃につながる政府の判断ミスを誘ったのではという声が朝鮮引き揚げ日本人の中にありました。主食の不足、価格の高騰こうとうは、すでに出口の見えなくなっていた戦争に対する国民(この場合、当然朝鮮人も含みます)の不満を強め、やがて体制批判(朝鮮半島においては独立運動の再燃)へとつながっていくことを恐れ、一発逆転を狙ったのではというものです。
あの意味の分からない真珠湾攻撃からの対米戦は、朝鮮総督府が昭和14年に本国より告げられた「新韓国皇帝擁立」計画と満州、朝鮮の鉄道関係者に出ていた軍管区の東南アジアへの設立計画とそれに伴う鉄道延伸えんしん計画の時間的スケジュールを考えても間に合う訳がなく、戦争遂行すいこうに無理があったというものでした。ここは別途詳しく載せます。

point図の米の収穫高は平安南道から下が少なくなっていますが、江原道の一部を除き、その5道が終戦間際ソビエト軍の軍事侵攻を受け奪い取られたのち北朝鮮になっている地域です。
「耕種法改善によって昭和30年度において」とあるように、朝鮮総督府は長期計画を立てて朝鮮半島の発展振興はってんしんこうを行っていました。内鮮人一体となって計画達成のため農地の開墾かいこん、改良にはげんでいたので、戦争に負けるということがなければ南北分断など起ることもなかったのです。未だに日本軍が朝鮮人と戦って南北を分断したかのように思っている人がいますがそれは誤解ということです。

麦や果樹かじゅ等の説明(省略)のあと禿山はげやまの問題に触れます。ある意味朝鮮半島の併合へいごう政策最大の成果ともいうべきもので、長い時間と根気のいる植林を重ねた木の国日本の結晶です。

朝鮮の禿山はげやま濫伐らんばつつみである。朝鮮の家々はすべて床を土で固め、その下に火熱を通す温突オンドルという一種の暖房装置であるが、このために全鮮幾百萬戸いくひゃくまんこが一年に灰とする薪炭しんたんの量はじつ莫大ばくだいなものに達する。
老樹ろうじゅり、稚樹ちじゅを折り、落葉はことごとくかき、ついには木の根まで掘りつくしてしかも植えることを知らぬのであるから、山は全く赤裸あかはだかと化し、雨が降ればたちまち洪水となり實に惨憺さんたんたる風景であった。

したがって施政以来殖林しょくりんについては最も積極的指導がほどこされ三十年の造林累計は六十億萬本、播種量はしゅりょう(まいた種の量)も九百萬立に上り、特に毎年四月三日の神武天皇祭じんむてんのうさい當日とうじつ植樹しょくじゅ記念日と定められ、明治四十四年第一回實施じっし以来六億五千萬本を植栽しょくさいした。

また砂防事業は大正十一年以来實施され、赤禿あかはげの山々に芝を植附うえつけて土砂の崩流を防ぎ半島緑化の基礎ごしらえをなした。
今日汽車の窓からも見る芝草しばくさの段々模様がそれで、それまでは一草を止めぬ荒廃ぶりだったのである。

さらに北鮮地方には火田民かでんみんという一所不住いっしょふじゅうの民があり、そのかず十萬戸にも及び、年々森林を焼きはらって馬鈴薯ばれいしょあわきび等を植え、翌年は捨ててかえりみず、また他の火田を焼きひらくという風で朝鮮林政上のがんといわれたが、當局とうきょくの定着指導によって最近おおむね整理され、愛林思想の普及と相俟あいまって半島林業の将来もようやく期待されるにいたった。

用材は紅松べにまつ、杉松、落葉松らくようまつ等を主とし杉、ひのき等の高級材は見られないが、林産総額は二億三千萬円に上って併合當時の四十倍に及んでいる。

人によっては「朝鮮禿ちょうせんはげ」と呼んだ荒廃した朝鮮半島の姿は、無残な光景だけでなく、実害としての土砂災害を頻繁ひんぱんに起こし人々を苦しめていました。
これを防ぐべく朝鮮総督府は大規模な砂防さぼう事業だけなく、小学生児童による授業の一環いっかんとしての植林も行ない、次第に緑が戻って行ったのです。

point神武天皇祭だけでなく、皇室の行事や国家の記念にも植樹は行われました。
現在の韓国の歴史認識やそれを利用する一部の日本人と異なり、当時を生きた韓国の古老ころうが併合時代を評価し洗脳教育された若者に襲われたニュース等ご存知だと思います。
あわせて、昔正しい歴史を知る韓国人や在日韓国人の方達から天皇批判というものがほとんど出なかったのは、「天皇陛下~」「皇太子殿下~」と理由をつけては植林や記念式典を行っていたためでもありま
す。
みんなで一緒に行った楽しい行事の思い出や、式典の記念品として紅白饅頭こうはくまんじゅうなどが配られた喜びがあって天皇=悪とはなっていなかったのです。

皇太子殿下御降誕ごこうたん記念施設調(昭和11年)

平成天皇陛下が生まれた年に行われた式典や行事をまとめたこの資料に出ているように、朝鮮半島においても皇室にまつわる形で植林事業が行われました。
植樹しながら現在の韓国が唱えているような、激しい独立運動と戦うなど器用な真似はできません。砲火で緑は焼け、新芽は軍靴ぐんかで踏み荒らされてしまいます。日本と韓国の歴史認識はここでも合わないのです。


こう(鉱)工業

朝鮮は素晴らしい金銀の国である。マルコポーロの見聞記けんぶんきでは東海の小国日本は床にまで金を敷きつめた黄金国となっているそうであるが、産金国としての朝鮮の名はこれよりもはるかに古く、日本書紀にすで韓土かんどの地は金銀のづる国と説明している位である。

しかしこれを事業としてはまるで見るべきものなく、併合後も大正元年(1912年)の鑛業出願件数六百三十三が同六年に六千百八十九とまで上ったが、欧州大戦(第一次世界大戦)後の経済界の變調へんちょうともなって再び減少し久しく不振の状態にあった。

ところが昭和六年(1931年)十二月の金輸出禁止を轉機てんきとして激増の一途を辿たどり、爾来じらい(それ以来)當局とうきょく奨励しょうれい相俟あいまって全般的に異常なる発展をとげ、特に近来マグネサイト、マンガン、アンチモニー、タングステン、雲母うんも水鉛すいえん、ニッケル等特殊鑛物とくしゅこうぶつ埋蔵まいぞうが相次いで発見されるにおよんで半島をあげて一大鑛業時代を現出するにいたった。

最近十年間に於ける鑛業出願件数は次のごとくで、もって躍進の趨勢すうせいうかがうことが出来るが、これも昭和十四年の一萬六千四百件をとうげとし、特に十六年には国際情勢を顕著けんちょに反映して急激な減少を示している。
それでも十六年末現在の許可鑛区は一萬二千五百餘鑛区、稼行かこう鑛区(採掘している鉱区)七千百五十六を数え今後は一層重點じゅうてん主義を以て開発される方針である。

昭和7年 3,204 昭和12年 8,116
昭和8年 5,210 昭和13年 15,721
昭和9年 9,447 昭和14年 16,411
昭和10年 10,153 昭和15年 10,548
昭和11年 6,105 昭和16年 6,243

なか金はもとよりその王座を全鑛区ぜんこうくの九割に近く、平北、咸南、黄海を始め十三道いたる所に存在し、平北の大楡洞たいゆどう雲山うんざん、黄海道の瓮津おうしん以下年産百萬円以上が十六を数える盛況である。

これに続くものは鐡鑛てっこう(鉄鉱)で、就中なかんずく(とりわけ)咸北の茂山鐡鑛はその埋蔵量において南満(南満州)の鞍山にまさり、貧鑛ひんこうであるが稼行の條件じょうけん良くこれ一つあれば日本の鐡は當分とうぶん自給自足十分だとまでいわれる大鐡山である。

続いて石炭は咸北かんほく會寧かいねい鏡城きょうじょう慶源けいげん吉州きっしゅう平南へいなん安州あんしゅう、黄海道鳳山ほうざん等を主要炭田とする褐炭かったん総埋蔵量そうまいぞうりょう四億萬瓲まんトン、鉄道用および家庭用燃料として歓迎され、無煙炭は全埋蔵量十三億五千萬瓲、平壌へいじょう三陟さんちょく寧越ねいえつ、和順、聞慶等を主炭田とし主として工業用に供せられている。

その他半島の地下資源中第四位を占めるタングステンを始め、黒鉛、水鉛、マグネサイト、蛍石ほたるいし雲母うんも明礬石みょうばんせき燐礦りんこういずれも時局下に絢爛けんらんたる(きらびやかな)脚光を浴びて採掘開発を進められ、半島の地下はこれ等各種の鉱物を以て完全に埋め尽くされた感がある。

兵糧ひょうろうとしての米だけでなく朝鮮半島は日本の戦争遂行すいこうになくてはならない鉱物資源の供給先としての役割も果たしていました。
そして、文中の主要産地の赤文字が示すように多くの必要かつ将来有望として開発を進めていた鉱山は北鮮域に多かったのです。
point終戦間際のソビエト軍の、国境を接した北鮮域からの朝鮮半島侵攻により日本が長い時間をかけて開発していた資源を奪われることになりました。
そして38度線で分断、北朝鮮が建国されたことにより南側の韓国は極端な資源不足の国になったのです。

日本人(本土)の知らない巨大な機械を動かすもう一つの日本(朝鮮)


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