韓国保護の要を痛感す
日韓両国人共同して此宴を設けられ、韓国皇帝陛下今将に北巡を終り明日を以て還幸(皇帝が視察を終えて戻ること)あらせらるるに際し、諸君が鳳駕(皇帝の乗り物)を奉迎すると共に我等陪従の一行を迎えて慰労せらるるの厚意は、我等が諸君に對して深く感謝する所なり。
抑も今春韓皇陛下が沍寒(極めて寒い)を冒して南北に巡行せられしは、蓋し(たぶん)諸君が其意(陛下のお考え)のある所を能く了解せらるることと信ず。
必竟今日の韓国の状態を以て、之に安すべきにあらずとの宸慮(皇帝の考え)に出で、国民をして振起(奮い立つこと)せしめ、以て国家の隆昌(栄えること)を来さしめんとせらるるに外ならず。
此の意は予が言を俟たずして、韓国民たると日本人たるを問わず、業に已に瞭然たるものあるを信ずるを以て、敢て重複して此を陳ぶるの必要なし。予は韓皇の請に従い普く汽車の通ずる所、南北に亘り時間の許す限り我耳目の及ぶ所を極めて山河の形勢を見、人民生活の状態を察し、而して深く心に感ぜし所は、我日本国は益々進んで此韓国を保護せさるべからずという事に在り。
縦令韓国民が我日本の保護に嫌焉たるものありとも、我日本は東洋樞要の地(大事な場所)たる韓国を衰微するに放任して邈視するを得ず。
韓国十三道に亘り其地域甚だ廣しというを得ずと雖も、尚八萬方哩の廣袤(面積)を有す、其位地たるや我日本帝国と僅かに一衣水(一衣帯水・きわめて近い)を隔てて相對し、而して此海峡は両国安危存亡の係る處なり。韓国の力微弱なるは、即ち日本国の国運に對して偉大なる関係を有す。
故に予は遠からず韓国を去りて日本に帰り、耳目の及ぶ所を極めたる状況を我天皇陛下に奏上して、日本帝国が益々勇往邁進して韓国に保護を加うるの厚からんことを奏請する積りなり。韓国の力微弱なるは、假令(おおよそ)韓人自負心に富むと雖も、世界各国の統計表を繙きて比較的に之を見れば、一目瞭然疑を容るるの餘地なし。
昨日平壌に至りて韓国の国力なる標題を掲げ自分の意中を吐露せんとしたれども、言語の異同より直接韓人に我が所見を了解せしむるの便を缼くが故に、僅かに其十分の一を吐露したるに過ぎず。今日は陛下巡遊最終の日なるを以て、敢て多言せざるも、聊か所感を諸君に披瀝して牢記(心に刻み込む)を請わんとするもあり他なし、日韓親睦を敦くし我が日本の保護によらざらば韓国の進歩は百年河清を待つ(ありえない)に等し。
南北に亘り力を盡して視察したる結果は韓人の歓んで迎うると却くるとは日本の問う所にあらず。日本は韓国民の現状を傍観座視するを得ず。畢竟隣誼を厚くし韓国の力を増し、日本国と共に韓国民の安寧幸福を増進せざるべからずとの観念は予の此行(このたび)に於て益々深こうしたる所なること之れなり、予は日韓両国人が深く此事を記憶せられんことを希望す。
本日は日韓両国有志諸君の深意を諒し、予が赤心熱誠を致して諸君に感謝の意を表す。
明治42年3月2日 開城歓迎會席上に於て