日本人と朝鮮人(12)

六、飛躍する半島産業 2

前回は鉱業まででしたが、資源が確保されてもそれを加工する工場がなければ産業の発展とはなりません。
ここから「前進する朝鮮」は豊富な電力とそれがもたらした工業化に触れていきます。

電力を背景に

これ等豊富な資源、豊富な電力を背景として各種工業の躍進やくしんもまためざましい。
電力、労銀ろうぎん(日本より安い労働賃金)、土地、資源、すべてのてんから見て工業立地條件じょうけん
の格段に有利な半島に注目して、その意味ではすで飽和點ほうわてん(限界)に達した内地工場の移駐いちゅうあるいは新しい大資本の進出相次ぎ、さらにこれにうながされた半島資本自體じたいの工業投資が加わって、兵站基地へいたんきち半島はわずか数年にしてその近代的態様たいよう(ようす)を整備したのである。

特にその電力は鴨緑江おうりょくこう長津江ちょうしんこう虚川江きょせんこう漢江かんこう江界こうかい富寧ふねい等々そのほとんどが水力発電であって、此の意味で半島の電力資源は無尽蔵むじんぞうともいうことが出来る。

そして恵まれた地勢に奔放雄大ほんぽうゆうだいな設計をもって建設されるこれ等の発電事業は、たとえば鴨緑江水電おうりょくこうすいでんの日本一の長江ちょうこうに七箇所の堰堤えんていを築いて七つの人造湖をつくり、それぞれその落下する水力によって電気を起すのであるが、昨年完成してすでに一部に送電を開始した水豊すいほうダムはその中でも最も大きく、高さ百メートル、長さ九百米、世界第二といわれる大規模なもので、日本中のてつとセメントをことごとくここに集めてつくったかを思われる様な大工事である。

また日本一の窒素肥料ちっそひりょう工場である朝鮮窒素の動力となる赴戦江ふせんこう水電は、海抜かいばつ千六百メートル赴戦嶺ふせんれいから西南に流れて黄海にそそぐ赴戦江を途中できとめ、周圍しゅうい十何里という大湖をつくり、この水を長さ三十キロメートルのトンネルによって日本海側に逆流させその落差を利用して発電する。
すべて内地とは桁違けたちがいの大きな企画であり建設であって、その壮観はいずれも観光的にも半島の新しい名所として推奨すいしょう出来るものである。

の資源、此の電力の背景の下に数百の大工場櫛比しっぴ(くしの歯のようにびっしりとならんでいること)し十年後の人口二百五十萬を豫想される京仁工業地帯、咸興かんこう、興南を中心とする朝窒系工業地帯を始め、大日本製糖、昭和飛行機、日本製鐵せいてつ兼二浦けんじほ工場等をようする平壌へいじょう、王子製紙を始め官私の製材所、西鮮化学等の中心新義州しんぎしゅうあるいは日本高周波重工業を盟主とする新生城津じょうしん茂山鐵鑛もさんてっこうの背景に立つ清津せいしん幾多いくたの工業地帯がたくましく浮彫うきぼりにされて来る。

大東亜戦争遂行すいこう、大東亜共栄圏の樹立じゅりつのために朝鮮半島の重工業の発展は欠かせませんでした。
そのために巨費をかけ、本土の日本人が想像もできないスケールの大規模な水力発電を開発し、続々大型工場が稼働を始めていく朝鮮半島。当時はこのまま全てうまくいくはずでした。

朝鮮旅行案内より平壌府市街図へいじょうふしがいず

大同江だいどうこう沿いのの部分が大日本製糖の工場になります。昭和8年までの地図なのでびっしりと工場が建っているどころか広い土地が空いていますが、ここから「前進する朝鮮」の昭和17年までの間に、続々と工場が出来ていったのです。


工業生産の躍進やくしん

そして昭和十五年末現在五人以上の職工しょくこう(工場労働者)を使用する工場合計は七千百四十二、これを昭和六年の四千六百に比べれば十年間に六割の増加であり、同年末現在の男女職工総数は二十三まんを越えるにいたった。
昭和七年以降かく年の年末現在工場数は下の表のごとくで、大體だいたい一年に二百乃至ないし二百五十工場を増加している計算である。

昭和7年(1932年) 4,643
昭和9年(1934年) 5,126
昭和11年(1936年) 5,927
昭和13年(1938年) 6,624
昭和15年(1940年) 7,174

かくて昭和十五年中の工産総額は十八億七千萬円、施政當時しせいとうじの約百二十倍に達し、朝鮮紙の製造、莞草むしろ、莞草スリッパ、あるいは叺織かますおりくしすだれ等の竹材工業というような家内工業はもとより、製鐵せいてつ金製錬きんせいれん、或いはアルミニウム、マグネシウム等の軽金属工業から船舶せんぱく、車輌、工具、機械の製作工業、更にはセメント工業、石炭液化工業に至るまであらゆる方面にわたって躍進的生産を見るに至った。

京城けいじょう南郊なんこう永登浦えいとうほには昭和八年朝鮮麥酒ビール及び昭和キリンの両麥酒工場が設立され、両者とも年約二萬石の生産能力を有し、今日ではビールのごときものまで自給自足を果した上に満州まんしゅう方面に輸出までしているという状況である。

十五年中に於ける工産額の業種別内譯うちわけは次の通りで化学工業が圧倒的に一位を占めている。(単位千円)

業種別 生産額 総額百分比
紡織ぼうしょく工業 232,178 12.4
金属工業 129,669 6.9
機械器具工業 76,665 4.1
窯業ようぎょう 61,654 3.3
化学工業 699,442 27.3
製材および木製品工業 35,028 1.9
印刷製本業 19,071 1.0
食料品工業 373,404 19.9
瓦斯ガス及電気業 27,196 1.5
其他そのたの工業 219,327 11.7
合計 1,873,634 100.0

昭和に入ってから朝鮮の近代化はさらに加速し、本土の日本人の認識をはるかに上回る発展をげつつありました。
1990年代からの中国の目覚ましい発展と同じく、ずは外から資本と技術を持ち込み、次第に自前の投資を増やして経済活性化を図る。その最初の例が朝鮮といっても過言かごんではありません。


続々各産業の工場が生れ、日本への出稼ぎ、専門学校入学などで技術を身に着けた朝鮮人の起業も相次ぎ、旧韓国時代とは様相が一変しました。


朝鮮之金属商工録(工業界社)昭和4年(1929年)

平安南道へいあんなんどう(平壌へいじょう)と黄海道こうかいどうの業者名を一部紹介しています。平壌は朝鮮第二位の都市でしたので「前進する朝鮮」にもあるように大規模な工場が作られ、その周りに中小規模の工場が出来てそれを支える形になっていました。
ですので、所表記(複数の人員を抱える工場)、電話の所有が多いのに対して地方の黄海道は個人名が多く電話も少ないのが分かります。
当時は電話を所有するのも大変な時代でしたので、このような業者名簿を使って必要な業者に歩いて頼みに行くことも行われていました。


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