日本人と朝鮮人(15)

八、建設に挺身ていしんする人々(2)

併合へいごうは歴史の宿命

一體いったいの幸福感

もしも一元いちげんの内鮮が、今日まで相結あいむすばれることなく各個それぞれの歩みを続けていたとした場合、半島の民衆は果して現在のような康福こうふく享受きょうじゅし得たであろうか、絶對ぜったいいなと答えなければならない。

その間三十年、いよいよ複雑怪奇を極める国際情勢の重壓じゅうあつの下、境接きょうせつするソれん及び支那しなの依然たる併呑慾へいどんよく(朝鮮を支配しようとする意思)に加うるに米英その他の劫略ごうりゃく(脅し奪う)の野望があり、今日到底国家としての存続をたもち得なかったであろうことは想像にかたくない。

そのいずれの制壓せいあつこうむっていたにせよ、あるいはまたそれ等各国の庇護下ひごかに形ばかり名ばかりの独立の體面たいめんを保っていたにせよ、その統治が如何いかに悲惨にして民衆の幸福とはおよそ如何に縁遠いものであるかは、インドの、ビルマの、エヂプトエジプトの、或いはヒリッピンフィリピン現實げんじつ明瞭めいりょうにこれを證明しょうめいする。すべての喜びはただ侵略者の生存と享楽きょうらくのために搾取さくしゅされ利用されつくしたであろう。

またかりに百歩を譲って、累卵るいらん危殆きたい(何時崩れるかわからない危険な状態)の中に今日なお国家として存続したとしても、内政は益々ますます紊乱びんらん(秩序が乱れること)し、錯綜さくそうする国際情勢の渦中かちゅうにあって相も變わらず黨争とうそうと陰謀と暗殺と、まさに百鬼夜行ひゃっきやこうの状態を継続し、産業文化の開発は遅れ、民衆は窮乏きゅうぼうの底に沈潜ちんせんして未開蒙昧もうまい(文明が開けず無知)の域から数歩をだになかったであろうと思われる。

一方ひるがえって、帝国が明治維新以来わずか四分の三世紀の間に今日の如き国勢の飛躍をとげ得たところのものは何であったか。上陛下の御稜威みいつ(天皇の威光いこう)と一死国にじゅんずるの三千年傳統でんとうの大和魂、もとよりそれには相違ないけれども、なるほど守るにはやすいけれども他を攻めるには必ずしも易くはない。

どこといって足掛かりのない帝国にとって、アジア大陸の一角に斗出した朝鮮半島の意義は真に重大なものがあった。
それは支那にたいしソ聯に對し、大いなる自然の防砦ぼうさいとなり、またやむを得ずして作戦する場合絶對的ぜったいてきな前進軍事據點きょてんとなった。

今日五箇年にわたって大陸に戦い、また大東亜海を制壓せいあつして米英を撃碎げきさいしつつある帝国国力のって来る所以ゆえんは、大陸の據砦きょさい(拠点でありとりで)としての半島の抱擁ほうように始まると見ることもえて無謀むぼうとはいい得ないのである。

日本は日露戦争後もロシア(1922年から1991年までは共産主義国ソビエト連邦)の朝鮮半島進出欲を危険視、そのために旧韓国の鈍すぎる情勢判断、遅すぎる近代化に我慢できずに韓国併合を行いました。

ロシアは極寒の地が領土として多く肥沃ひよくで暖かい土地に兵站地へいたんち(本国より離れた場所に置かれた軍事拠点・兵の休息・訓練・装備の補充、整備等を行う場所)を欲していてそれが朝鮮半島でした。

とりわけ南側の仁川じんせん釜山ぷさんは交易、軍港としての使用を考えた場合最適地で逆にそれは元寇げんこうえき(モンゴル帝国が高麗こうらい(朝鮮の王朝)を従え2度襲ってきた日本侵略戦争)を経験していた日本にとっては最悪の状況になるものでした。
上陸を阻止しても近場にある兵站地を叩かない限り相手は何度でも攻撃を仕掛けることが出来る。
攻撃を受ける日本は領土が痛み続け国民が殺されるだけになるからです。

point2度の戦いで得た教訓から朝鮮は必要だったのです。そして行ったのは日本の近代化をなぞっただけの朝鮮半島の富国強兵ふこくきょうへいでした。
問題は朝鮮半島の人々の自発的近代化ではなく日本の都合に合わせた近代化のスケジュールだったことが朝鮮側の負担を増大させたということです。

そして、最終計画「新韓国の誕生」が大東亜共栄圏の目玉として出来上がるまでに、予定になかった真珠湾しんじゅわん攻撃からの対アメリカ戦を始め国軍を失うほどの惨敗ざんぱい。国防意識も吹き飛びあっさりと朝鮮半島を捨てたのです。

前進の心構こころがま

すなわち日韓の併合こそは不幸にして別れ別れとなっていた本来一つのものの必然の還元であり、また歴史の新しき前進において、天が大東亜の指導者を擇抜せんばつするための大前奏だいぜんそうであった。

これは歴史の宿命である。東亜開展かいてん(アジアが開け広がっていく)の必然の行程である。
したがって内鮮の一體は何も半島の人々だけの幸福ではない。日本が世界の大強国に飛躍ひやくするための重大な精神的基礎工事であって、内鮮大復古ないせんだいふっこの喜びは一億大やまと民族共通の喜びであり幸福であらねばならぬ。

内地人の中には往々おうおうにして帝国が半島に築いた努力と恩恵を語るに急であって、是も非もあらず頭ごなしにその感謝と盲従もうじゅう(なんでも日本人にしたがう)とをいんとするものもないではない。
しかしかくごときはいま内鮮一體ないせんいったい本義ほんぎ(本来の意味)、皇道統治の本質にてっせざるものというべく、八紘一宇はっこういちう(世界は一つの家族)の皇道統治は断じて恩を売り利を求める英米流の功利こうり(自分たちの功績、利益を優先する)政治と同一視すべきものではないのである。

勿論もちろん生をの半島にけた人々は今日こんにち此の非常の時にあたって、歴史的な大還元の持つ深大な意義と幸福とを省察し、新しき日本人の喜びに奮起一番、一視同仁いっしどうじん大御心おおみこころこたたてまつるの覚悟を堅持けんじしなければならぬ。
そして半島は現にこれをなしつつあるのである。

現前げんぜんの努力と傾向とにはなお幾多いくたあきたらざるもの、不満なものもないではない。しかし永いといっても併合以来僅々きんきん(わずか)三十年の歳月にすぎぬのであって、これを一千年の疎隔そかく(へだたり)と考え合わせるならばそれは驚くべき進歩であり飛躍である。物事はすべて短兵急たんぺいきゅう(大急おおいそぎ)ではいかぬ。

大東亜共栄圏の建設にあたってもこれは十分考えなければならぬことであって、私達はもっと永い目で見、そして一層深い愛情と理解とをもって、興亜の大建設戦に遺憾いかんなき前進を期したいものである。

内外温度差(内外認識の差)がここでも書かれています。
朝鮮総督府を頂点に朝鮮半島の日本人は一視同仁、内鮮一体、という言葉の意味を日頃から、子供の頃から叩き込まれていたのに対し、本土の日本人は全くそれを習っていなかったのです。

そのため朝鮮人は併合してやった日本人に感謝して日本人に従っていればいい口答えするなという形で接することが多く、完全によそ者扱いそれも数段下の民族扱いだったのです。
結果、せっかく志高こころざしたかく日本留学を果した朝鮮人学生が
ほこりを傷つけられて、半島に戻ってきたら反日思想(新しい共産主義運動や古くからある中国が上で韓国、一番下が日本という思想に基づく日本排斥はいせき運動など)に傾いていたという事態を引き起こしていました。

pointこの深刻な問題に悩まされていた総督府は「前進する朝鮮」を朝鮮人も読むであろう前提で本土の対応は間違っていますよ、でも併合からわずか30年まだまだじゃないですかお互い色々行き違いがあってももっと長い目で見て行きましょうよと言っているのです。
しかし3年後に敗戦、うらみの矛先ほこさきが朝鮮半島の日本人に向かい報復されたのです